今日のブログは『水茄美人倶楽部の国際文化交流(13)/水なす美人塾』です。 


等を作成してアップしてきました。 
あわせてご覧いただければ幸いです。画像タイトルは『水茄美人倶楽部の国際文化交流/水なす美人塾画像』で、画像サブタイトルは<中国臨沂リンイー/水なす美人塾国際文化交流♪>で統一しています。


 「洗硯池」の西には100m程の長さの「書法碑廊」があり、碑廊の壁には大理石の石碑50個以上が嵌め込まれて展示されています。有名な書法家が書いたものばかりだそうで、劉先生が各々説明して下さいました。「書法碑廊」に並んでいるのは中国語表現で「當代南北大家不同風格的書法作品」であり、ある程度理解できます。
水茄美人倶楽部の国際文化交流/水なす美人塾画像
中国臨沂リンイー/水なす美人塾国際文化交流♪

 洗硯池」の畔には王義之(303年 - 361年)の彫像も立っています。精神を集中して翳りのある美しい顔で白鳥を凝視している若き王義之像。この若き日の王義之のルックスを、「帥哥(シュァイグゥ)」=イケメン、小鮮肉(シァォ シェン ロウ)」=20代前後の若い筋肉ムキムキ男性、とここ中国では表されています。
水茄美人倶楽部の国際文化交流/水なす美人塾画像
中国臨沂リンイー/水なす美人塾国際文化交流♪

 書聖、王義之の本籍は当地、琅邪郡臨沂県(=現在の山東省臨沂市)で、名門の門閥貴族、琅邪の王氏の一員として生まれました。しかし幼児期に父、王曠(ワン・クアン)と離別し、母に育てられ、初めは引っ込み思案でした。それが東晋建国の功労者で軍事統括する二人の従伯父、王敦(ワン・ドゥン)と王導(ワン・ダオ)に可愛がられて、硬骨漢に育っていったそうです。4歳の時に家族と浙江省紹興市南部の会稽山へ引越したので、臨沂に住んでいたのは幼年期だけでしょうか。・・・つづく